ちょびんの旅立ち その②
2013年 09月 04日
ちょびんが逝く日も、逝くとはわからず、ママは、ちょびんの写真を撮っていました。
びっくりするような、可愛い子犬のような顔も、パパにだっこされて寝ている姿も、ちゅらが寄り添っているところも。
でも、その写真を、「ちょびんの旅立ち その①」に追記しようとすると、どうしても、涙が溢れて、できないのです。
ちゃんと、その日のことを、残しておきたいと思うのに、どうしても、できませんでした。
今日は、その① を書いて、心の整理をした水曜日、文章の量が入力しきれなくて、その②として、非公開記事にしていたものを、載せたいと思います。
まるで、眠っているかのような、ちょびんの写真も、あまりにも可愛くて、今、追記しました。
********************************************
8月30日(金)
偶然にも、この日は、前々から、パパもママも、お休みが決まっていました。
「おはよ~ちょびん。下に行こうね。」と、いつものように、一緒にリビングへ。
9時になり、先生に電話しました。
一日は、一緒にいられるとのことでした。
ずーっとずっと、今日は一日中、一緒にいようね。
なんて、なんて、可愛いお顔なの。
まるで、ただ、このベッドで、休んでいるだけみたいだよ。
いつも、ちょびんが過ごしていたソファに、ベッドごと置いた。
ちょびんを可愛がってくれた方が、次々と来てくれました。
泣きながら、「会いに行ってもい~い?」と、電話をくれた、トムくんのママ。
トムママとトムパパが、ぼろぼろぼろぼろ泣いて、ママの方が、背中をさすって、慰めたくらいでした。
ちょびんぽい、可愛いピンクのお花バスケットと、おやつをくれました。
ラブちゃんママも、お仕事帰りに、寄ってくれました。
はじめてのワンで、亡くなったばかりの時、何もわからないママに、色々教えてくれた方です。
ちょびんぽい、ふうわり可愛い黄色のお花バスケット、くださりました。手作りかな。
夜遅く、ちょびんを可愛がってくれたペットショップの店長さんが、来てくれました。
この方の手から食べたのが、最後のごはんでした。
大好きな店長さんで、ちょびんちん、ぼく、まだ食べられるの~って、かっこつけたんだよね。
いつのでしょう。お店で撮ったちょびんの写真と、おやつと、可愛いわんの入った白いお花バスケット、くださりました。
小さいちょびんは、あっという間に、お花に囲まれました。
29日、旅立とうとしている時も、ちゅらは、ちょびんのそばに、よくいました。
30日、一緒にいられる最後の日も、ちゅらは、よく、ちょびんのそばにいました。
夜。
「ちょびん、ねんねしようね~。」
また、いつもの日常のように、一緒に、寝室へ連れて行った。
でも、いつものだっこではなく、ちょびんの休むベッドごとだった。
この夜、ちょびん家のこの部屋は、朝まで明るかった。
パパさんが、「ちょびん日記、見せて。」と言った。
ちょびんが、我が家に来たとき、あまりにも可愛くて、ママは、ちょびんのことを書かずにはいられなかったのだ。
それで、可愛いノートを揃えて、ちょびんの可愛いエピソードや、面白いエピソードを、書きつづっていたのだ。
ママさえも忘れていたエピソードが、書かれていたようだ。
もうしばらくしたら、読んでみたい。
今は、読めない。
8月31日(土)
実は、この日は、ママの誕生日でした。
でも、ちょびんのからだと、本当にお別れする、ママにとって、本当に大切な日となりました。
「ちょび~ん、おはよ~。下に行こうね~。」
と、いつものように、いつもと同じように、過ごす。
午前中、病院からお花が届いた。
ちょびんが、いつも過ごしていたソファの上に、ちょびんのいるベッドを置いて、そのまわりを、お花やおやつで囲んだ。
その後、ママは、がんばって、ちょびんちんの箱に入れるお花を、選びに出かけた。
セレモニーホールには、任せたくなかった。
ちょびんちんに、ぴったりな、可愛い可愛いお花を、たくさん、選んだ。
可愛くて、優しくて、ふんわりしたお花を。
ママの留守の間、ちょびんが、よく遊びに行っていた、お隣のPちゃんのママが来てくれていた。
Pちゃんは、既に天国にいる。
Pちゃんママは、ちょびんの写真がほしいと言った。
Pちゃんの隣に飾りたいとのことだった。
可愛いブリザードフラワー、くださった。
すごいね。
ちょびんちん、愛されていたね。
昨日から、お花がたくさんだよ。
今日は、ママのお誕生日だけど、ママのためのお花じゃないよ。
ちょびんちんのためのお花が、たくさんなんだよ。
ママ、嬉しいな。
なるべく一緒にいたくて、火葬は、午後3時にお願いしていた。
ベッドで、ただ、寝ているだけのようなちょびん。
ブランケットをかけて、いろんなおやつの詰め合わせを作って、りぼんをかけた。ちょびんぽく。
家族写真や、1番好きだったおもちゃも、そばに置いた。
出発の30分前。
不思議なことに、ちゅらとアルちが、ちょびんのまわりに、同時に集まってきた。
そして、ただ、ずーっと、何もしないで、ただ座って、ちょびんを、私達と共に、囲うようにして、いた。
私達夫婦は、驚いた。何かを感じていたのだろうか。
出発まで、ただ、こうしていた。
ちょびんを見つめているアル。
ちょびんのそばに寄り添っているちゅら。
ちょびんが旅立つ日も、旅立ってからも、よく、こうして寄り添っていた。
出発。
車の中。
たくさん、たくさん、撫でながら、触れながら、見つめながら、向かった。
教えてもらいながら、調べて、選んだセレモニーホールは、自宅から、離れていた。
遠くでよかった。
ちょびんちんと、こうやっていられるから。
でも、着いてしまった。
ちょびんちんに、ぴったりな、可愛いセレモニーホールだった。
箱に移して、ママが選んできた、可愛いお花をいっぱい飾った。
一緒に入れるのは、裏にお手紙を書いた家族写真(ちゅらもアルもパパママもいる)と、療法食の身で、禁止だった、色々なおやつ。
本当は、おもちゃはだめだったんだけど、大好きなおもちゃのたまごちゃんを1個、そばに置いていた。
聞いてみたら、いいですよ・・・と、言ってくれたので、持たせることにした。
最後まで、パパとママの手で、おこなった。
扉が閉まる時、「だいじょうぶだからね。こわくないからね。」と声をかけた。
待合室。
午後の木漏れ日が、ちらちらと、レースのカーテンから入り、その揺らぐ光と影に、心が慰められた。
その間、亡くなった愛猫を連れて来た家族、お参りに来た家族などがいて、その方たちの涙を感じては、同じ思いをしている人たちがいるのだと、思った。
終わった時。
とうとう、この時が来たのかと思った。
現実を、受け入れなくてはいけない。
ママは、そばに行くのがこわかった。
こんなに小さくなっちゃって・・・と、姿を見た時、辛かった。
涙も溢れて、息をするのも、苦しかった。
忘れられない、ママの誕生日になった。
帰宅し、ソファに座るパパ。
ちゅらとアルちは、すぐさま、パパのそばにやって来て、ずーっと、そばに寄り添っていた。
ふしぎだね。
ママを支え続けたパパさんが、今、最も、深いものをかかえていることを、感じていたのだろうか。
ママは、ちょびんの居場所を決めた。
絶対に、リビングダイニング。いつも、みんなと一緒。
9月1日(日)
アルちの毛だらけ。
すごい我が家を、数日ぶりに掃除した。
諸々の洗濯もした。
家には、食品や日用品が、なくなっていた。
買い物に行った。
冷蔵庫には、ちょびんの為に買った、ささみや、生クリームや、低脂肪牛乳や、かぼちゃや・・・
残っていた。
見ると、なんだか、切ないよ。
まだ開けていない、ちょびんのフードもある。
いやがった吸着剤も。
1個しか使わなかったカプセルも。
早すぎるよ。
もっと一緒にいられると思ったよ。
でも、ちょびんは、逝く時を、自分で選んだのではないかと、ふと、思う。
8月29日の夜、皆が揃ったのを知り、パパに抱かれながら、旅だった。
30日、パパもママも、前から休みが決まっていたこの日。一日ずっと一緒にいられた。
31日、ママの誕生日。この日、本当に旅立った。絶対に、忘れない日となった。
9月 1日、パパもママも、心を落ち着かせ、月曜日から、ちゃんと、仕事に行きなさい・・・と、言ったの?
こうすれば、みんな、誰にも迷惑をかけないでしょ。
パパとママとも、お休み中、ずっと過ごせたでしょ。
とでも、言いたげだ・・・。
でも、甘い。
こわいママでも、実は、そんなに強くないんだよ、ちょびん。
お仕事だって、休んじゃったよ。行けなかったよ。
ママの上司は優しい人でね、許してくれたよ。
大切な家族が亡くなったのだから・・・って。
ママは、悲しくて、辛くて、ちょびんに逢いたくて、夢にも出てきてほしくて、幽霊でも出てきてほしくて。
でも、夢にも出てきてくれなくて、幽霊も見えなくて・・・。
本当に、もう、どこにもいないんだ・・・と、ふと、寂しくなるんだよ。
店長さんが来た時、聞かれた。
「夢に見ますか。」と。
全く見ません。
こんなに夢に見たいのに。こんなに気配を感じたいのに。
夢は、見ない方がいいと言われました。
飼い主が、そうだと、犬は成仏できないのだと。
そうか、そうなんだ。
でも、そもそも、魂など、存在するのだろうか。
存在してくれてたら、嬉しい。
でも、ママには何も感じない。
パパやママは、やれることは全部やった・・・と、思っていた。
そして、ちょびんちんも、まるで逝く準備をしていたかのように、やりたいことを、全部やったと、私達の目には映った。
お散歩が、とにかく大好きで、嵐のときも雪のときも行きたがって、困った子だった。
歩くのが嬉しくて、はずむように歩いて、その姿の可愛いことったらなかった。
最後の週、歩ける状態ではないのに、だっこ散歩の時、少しだけ歩きたがったり。
可愛がってくれた人の家の前に来ると、じたばたして、抱っこから降りたり。
そして、玄関前で、じーっと待ったり。
家中も歩いて、最後の日は芝生も歩いて、気持ちのいい夕日と爽やかな風を、バルコニーで感じたり。
最後の日は、パパとママに抱っこしていたいのと訴え、ずっと、腕の中にいた。
そして、パパさんに抱かれたまま、みんなに囲まれて、名を呼ばれながら、旅立った。
看取らせてくれた。
みんなが、落ち着いて揃うまで、頑張ってくれたのだろうか。
ちゃんと、看取らせてくれた。
ママに心配をかけないようにか、先生の言った苦しみ方は、しなかった。
眠るように逝った。
親孝行な子だった。
ママはね、ちょっと、ほっとしている。
お水が飲みたくても飲めなくて、お皿をガンガン叩いたり、がじがじかじったり、何度もお皿の前に行って、顔を近づけては諦めて帰る。
我が家一食いしん坊で、ごはんが大好きだったのに、お皿に近づいても食べられなくなった。
きっと、諦めた。
辛かったね。悲しかったね。くやしかったね。
もう、いいよ、苦しまなくて。
そんな気持ちも、ある。
ちょびんが、そんな辛い気持ちを味わわなくてもいいから。
アルちが、ママのことを、こわい顔で見ていた。
眉間にしわを寄せ、鋭い目で、じいーっと。
なんてこわい・・・と思った。
「ママ、生きているものには、みんな、最後があるんだよ。」と、さらっとクールに言われているような。
歩いていて、ふと、窓ガラスに映ったママの顔は、まるでアルちのような、アルちと同じような、こわい顔だった。
そんなママの顔を見ていて、アルちは、そんな顔になったのかな。
この日もやはり、ちゅらは、ちょびんのことを探していた。
元気印ちゅらが、やけに大人しい。
からだをさわると、いつもより、熱っぽかった。
目にも力がなく、あまり動いていなかった。
ラブママが来てくれたとき、ちゅらたちに気をつけてと言われていた。
ラブママは、おかあさん犬を亡くした一ヶ月後、こども犬を亡くしている。
だから、心配してくれていた。
そのことも、頭にあり、月曜日の朝、パパさんが、病院へ連れて行った。
特に大きな心配はなかったが、ひとつ気になる数値があって・・・
また後日、検査に行く。
9月2日(月)
上にも書いたが、お仕事休んた。
どうしても、行けなかった。
一人で、いろんな事を思った。
やるべきことは全てやったと思っていた。
でも、後から、あのときこのとき・・・と、思ってしまう。
そんなママを見ているから、アルちもこわい顔になるし、ちゅらも、元気がなくなるんだ。
とも、思った。
あんなに食欲がなかったのに、無理矢理、少しでもと口に入れていたのに、ママは、少し、お腹が空くようになった。
なんという皮肉。
パパさんは、「ちょびんが食べさせてくれてるんだよ。」と、昨日、言っていたっけ。
遅いお昼を食べて、「あー。おなかすいたし、おいしかったなぁ。」と、大きな声で、言ってみた。
ちゅらが、パッと、ママの方を見た。
そして、「まま、あそぼう~!」と、おもちゃを持ってきた。
しばらく、遊んだ。かわいくて、笑えた。
この子は、いつでも、ママのことを、じっと、見ていたのだ。耳でさぐっていたのだ。
夕方、お散歩に出かけた。
ちゅらの好きなところに行こうと、言ってみた。
すると、近くではなく、ちょっと離れた広い公園へ、自ら歩いていった。
本当に、久しぶりの場所だ。
ラブママさんがいた。
先日のお礼も言いつつ、色々話した。
この時間、いるから、来れるなら来て・・・と、言ってくれた。
この日の夜。
アルちの顔は、いつもどおり、穏やかで、まったりしていた。
もう、あのこわい顔は、なかった。
9月3日(火)
ちゅらの元気が出てきた。
ごはんのとき、いつも、くるくるっくるくるっと、床を回って待っていたことを思い出した。
この日も、そうやって待っていた。
目にも動きにも、力が出てきた。
よかった。
夕方。
散歩に出かけた。
ちゅらは、また、まっすぐに、ちょっと遠い、広い公園へ向かった。
だいぶ元気で、いつもの、蹴り掘りも、芝生の上で、何度もやっていた。
そんな姿を見て、ほっとした。
ラブままさんが、いた。
他のわんちゃんたちも。
愛犬を亡くすと、しばらく、他の犬を見られない、いないことを聞かれるのがいやだと、聞くことがあります。
でも、パパもママも、そんな風になりませんでした。
他のわんこ達は、可愛いです。とても。
可愛いね。愛されてるかな。毎日、楽しく過ごしてね・・・と、思う。
犬の生涯は、短いのだと、思ったから。
幸せに過ごしてね・・・と、思う。
すれ違った近所の方に、1ぴきしか連れていないことを、聞かれました。
でも、大丈夫。ついこの間、亡くなったことを話せます。
次は、どんなに可愛くて賢かったか、語りたいと思います。
9月4日(水)
朝。
ママのベッドで、今までちょびんが寝ていた場所に、ちゅらが寝ていた。
パパさんを駅まで送り、買い物して帰宅。
ちゅらの、ママの迎え方は、いつも通りだった。
もう、部屋の中で、ちょびんを探す行動は、しなかった。
でも・・・
お庭に出してほしいのと、お庭に出る窓のところにいて、目で訴えたちゅら。
窓を開けると、遊びに行くのではなかった。
すぐさま、隣家のフェンスのところに行って、じぃーっと、様子をうかがっていたのだ。
そういえば、ここ数日、そうだったかもしれない。
もしかしたら、ちょびんが、お隣に、いつものように、遊びに行っているのではないかと、思っているのではないだろうか。
そんな気がした。
ほんの少しだけ時間がたって、体中ちょびんのことでいっぱいだったのに、ちょびんの最後の日の写真さえ見られなかったのに、他のことを、考えてしまうよ。
もっともっと、ちょびんのことを、どっぷり、考えていたいよ。
びっくりするような、可愛い子犬のような顔も、パパにだっこされて寝ている姿も、ちゅらが寄り添っているところも。
でも、その写真を、「ちょびんの旅立ち その①」に追記しようとすると、どうしても、涙が溢れて、できないのです。
ちゃんと、その日のことを、残しておきたいと思うのに、どうしても、できませんでした。
今日は、その① を書いて、心の整理をした水曜日、文章の量が入力しきれなくて、その②として、非公開記事にしていたものを、載せたいと思います。
まるで、眠っているかのような、ちょびんの写真も、あまりにも可愛くて、今、追記しました。
********************************************
8月30日(金)
偶然にも、この日は、前々から、パパもママも、お休みが決まっていました。
「おはよ~ちょびん。下に行こうね。」と、いつものように、一緒にリビングへ。
9時になり、先生に電話しました。
一日は、一緒にいられるとのことでした。
ずーっとずっと、今日は一日中、一緒にいようね。
なんて、なんて、可愛いお顔なの。
まるで、ただ、このベッドで、休んでいるだけみたいだよ。
いつも、ちょびんが過ごしていたソファに、ベッドごと置いた。
ちょびんを可愛がってくれた方が、次々と来てくれました。
泣きながら、「会いに行ってもい~い?」と、電話をくれた、トムくんのママ。
トムママとトムパパが、ぼろぼろぼろぼろ泣いて、ママの方が、背中をさすって、慰めたくらいでした。
ちょびんぽい、可愛いピンクのお花バスケットと、おやつをくれました。
ラブちゃんママも、お仕事帰りに、寄ってくれました。
はじめてのワンで、亡くなったばかりの時、何もわからないママに、色々教えてくれた方です。
ちょびんぽい、ふうわり可愛い黄色のお花バスケット、くださりました。手作りかな。
夜遅く、ちょびんを可愛がってくれたペットショップの店長さんが、来てくれました。
この方の手から食べたのが、最後のごはんでした。
大好きな店長さんで、ちょびんちん、ぼく、まだ食べられるの~って、かっこつけたんだよね。
いつのでしょう。お店で撮ったちょびんの写真と、おやつと、可愛いわんの入った白いお花バスケット、くださりました。
小さいちょびんは、あっという間に、お花に囲まれました。
29日、旅立とうとしている時も、ちゅらは、ちょびんのそばに、よくいました。
30日、一緒にいられる最後の日も、ちゅらは、よく、ちょびんのそばにいました。
夜。
「ちょびん、ねんねしようね~。」
また、いつもの日常のように、一緒に、寝室へ連れて行った。
でも、いつものだっこではなく、ちょびんの休むベッドごとだった。
この夜、ちょびん家のこの部屋は、朝まで明るかった。
パパさんが、「ちょびん日記、見せて。」と言った。
ちょびんが、我が家に来たとき、あまりにも可愛くて、ママは、ちょびんのことを書かずにはいられなかったのだ。
それで、可愛いノートを揃えて、ちょびんの可愛いエピソードや、面白いエピソードを、書きつづっていたのだ。
ママさえも忘れていたエピソードが、書かれていたようだ。
もうしばらくしたら、読んでみたい。
今は、読めない。
8月31日(土)
実は、この日は、ママの誕生日でした。
でも、ちょびんのからだと、本当にお別れする、ママにとって、本当に大切な日となりました。
「ちょび~ん、おはよ~。下に行こうね~。」
と、いつものように、いつもと同じように、過ごす。
午前中、病院からお花が届いた。
ちょびんが、いつも過ごしていたソファの上に、ちょびんのいるベッドを置いて、そのまわりを、お花やおやつで囲んだ。
その後、ママは、がんばって、ちょびんちんの箱に入れるお花を、選びに出かけた。
セレモニーホールには、任せたくなかった。
ちょびんちんに、ぴったりな、可愛い可愛いお花を、たくさん、選んだ。
可愛くて、優しくて、ふんわりしたお花を。
ママの留守の間、ちょびんが、よく遊びに行っていた、お隣のPちゃんのママが来てくれていた。
Pちゃんは、既に天国にいる。
Pちゃんママは、ちょびんの写真がほしいと言った。
Pちゃんの隣に飾りたいとのことだった。
可愛いブリザードフラワー、くださった。
すごいね。
ちょびんちん、愛されていたね。
昨日から、お花がたくさんだよ。
今日は、ママのお誕生日だけど、ママのためのお花じゃないよ。
ちょびんちんのためのお花が、たくさんなんだよ。
ママ、嬉しいな。
なるべく一緒にいたくて、火葬は、午後3時にお願いしていた。
ベッドで、ただ、寝ているだけのようなちょびん。
ブランケットをかけて、いろんなおやつの詰め合わせを作って、りぼんをかけた。ちょびんぽく。
家族写真や、1番好きだったおもちゃも、そばに置いた。
出発の30分前。
不思議なことに、ちゅらとアルちが、ちょびんのまわりに、同時に集まってきた。
そして、ただ、ずーっと、何もしないで、ただ座って、ちょびんを、私達と共に、囲うようにして、いた。
私達夫婦は、驚いた。何かを感じていたのだろうか。
出発まで、ただ、こうしていた。
ちょびんを見つめているアル。
ちょびんのそばに寄り添っているちゅら。
ちょびんが旅立つ日も、旅立ってからも、よく、こうして寄り添っていた。
出発。
車の中。
たくさん、たくさん、撫でながら、触れながら、見つめながら、向かった。
教えてもらいながら、調べて、選んだセレモニーホールは、自宅から、離れていた。
遠くでよかった。
ちょびんちんと、こうやっていられるから。
でも、着いてしまった。
ちょびんちんに、ぴったりな、可愛いセレモニーホールだった。
箱に移して、ママが選んできた、可愛いお花をいっぱい飾った。
一緒に入れるのは、裏にお手紙を書いた家族写真(ちゅらもアルもパパママもいる)と、療法食の身で、禁止だった、色々なおやつ。
本当は、おもちゃはだめだったんだけど、大好きなおもちゃのたまごちゃんを1個、そばに置いていた。
聞いてみたら、いいですよ・・・と、言ってくれたので、持たせることにした。
最後まで、パパとママの手で、おこなった。
扉が閉まる時、「だいじょうぶだからね。こわくないからね。」と声をかけた。
待合室。
午後の木漏れ日が、ちらちらと、レースのカーテンから入り、その揺らぐ光と影に、心が慰められた。
その間、亡くなった愛猫を連れて来た家族、お参りに来た家族などがいて、その方たちの涙を感じては、同じ思いをしている人たちがいるのだと、思った。
終わった時。
とうとう、この時が来たのかと思った。
現実を、受け入れなくてはいけない。
ママは、そばに行くのがこわかった。
こんなに小さくなっちゃって・・・と、姿を見た時、辛かった。
涙も溢れて、息をするのも、苦しかった。
忘れられない、ママの誕生日になった。
帰宅し、ソファに座るパパ。
ちゅらとアルちは、すぐさま、パパのそばにやって来て、ずーっと、そばに寄り添っていた。
ふしぎだね。
ママを支え続けたパパさんが、今、最も、深いものをかかえていることを、感じていたのだろうか。
ママは、ちょびんの居場所を決めた。
絶対に、リビングダイニング。いつも、みんなと一緒。
9月1日(日)
アルちの毛だらけ。
すごい我が家を、数日ぶりに掃除した。
諸々の洗濯もした。
家には、食品や日用品が、なくなっていた。
買い物に行った。
冷蔵庫には、ちょびんの為に買った、ささみや、生クリームや、低脂肪牛乳や、かぼちゃや・・・
残っていた。
見ると、なんだか、切ないよ。
まだ開けていない、ちょびんのフードもある。
いやがった吸着剤も。
1個しか使わなかったカプセルも。
早すぎるよ。
もっと一緒にいられると思ったよ。
でも、ちょびんは、逝く時を、自分で選んだのではないかと、ふと、思う。
8月29日の夜、皆が揃ったのを知り、パパに抱かれながら、旅だった。
30日、パパもママも、前から休みが決まっていたこの日。一日ずっと一緒にいられた。
31日、ママの誕生日。この日、本当に旅立った。絶対に、忘れない日となった。
9月 1日、パパもママも、心を落ち着かせ、月曜日から、ちゃんと、仕事に行きなさい・・・と、言ったの?
こうすれば、みんな、誰にも迷惑をかけないでしょ。
パパとママとも、お休み中、ずっと過ごせたでしょ。
とでも、言いたげだ・・・。
でも、甘い。
こわいママでも、実は、そんなに強くないんだよ、ちょびん。
お仕事だって、休んじゃったよ。行けなかったよ。
ママの上司は優しい人でね、許してくれたよ。
大切な家族が亡くなったのだから・・・って。
ママは、悲しくて、辛くて、ちょびんに逢いたくて、夢にも出てきてほしくて、幽霊でも出てきてほしくて。
でも、夢にも出てきてくれなくて、幽霊も見えなくて・・・。
本当に、もう、どこにもいないんだ・・・と、ふと、寂しくなるんだよ。
店長さんが来た時、聞かれた。
「夢に見ますか。」と。
全く見ません。
こんなに夢に見たいのに。こんなに気配を感じたいのに。
夢は、見ない方がいいと言われました。
飼い主が、そうだと、犬は成仏できないのだと。
そうか、そうなんだ。
でも、そもそも、魂など、存在するのだろうか。
存在してくれてたら、嬉しい。
でも、ママには何も感じない。
パパやママは、やれることは全部やった・・・と、思っていた。
そして、ちょびんちんも、まるで逝く準備をしていたかのように、やりたいことを、全部やったと、私達の目には映った。
お散歩が、とにかく大好きで、嵐のときも雪のときも行きたがって、困った子だった。
歩くのが嬉しくて、はずむように歩いて、その姿の可愛いことったらなかった。
最後の週、歩ける状態ではないのに、だっこ散歩の時、少しだけ歩きたがったり。
可愛がってくれた人の家の前に来ると、じたばたして、抱っこから降りたり。
そして、玄関前で、じーっと待ったり。
家中も歩いて、最後の日は芝生も歩いて、気持ちのいい夕日と爽やかな風を、バルコニーで感じたり。
最後の日は、パパとママに抱っこしていたいのと訴え、ずっと、腕の中にいた。
そして、パパさんに抱かれたまま、みんなに囲まれて、名を呼ばれながら、旅立った。
看取らせてくれた。
みんなが、落ち着いて揃うまで、頑張ってくれたのだろうか。
ちゃんと、看取らせてくれた。
ママに心配をかけないようにか、先生の言った苦しみ方は、しなかった。
眠るように逝った。
親孝行な子だった。
ママはね、ちょっと、ほっとしている。
お水が飲みたくても飲めなくて、お皿をガンガン叩いたり、がじがじかじったり、何度もお皿の前に行って、顔を近づけては諦めて帰る。
我が家一食いしん坊で、ごはんが大好きだったのに、お皿に近づいても食べられなくなった。
きっと、諦めた。
辛かったね。悲しかったね。くやしかったね。
もう、いいよ、苦しまなくて。
そんな気持ちも、ある。
ちょびんが、そんな辛い気持ちを味わわなくてもいいから。
アルちが、ママのことを、こわい顔で見ていた。
眉間にしわを寄せ、鋭い目で、じいーっと。
なんてこわい・・・と思った。
「ママ、生きているものには、みんな、最後があるんだよ。」と、さらっとクールに言われているような。
歩いていて、ふと、窓ガラスに映ったママの顔は、まるでアルちのような、アルちと同じような、こわい顔だった。
そんなママの顔を見ていて、アルちは、そんな顔になったのかな。
この日もやはり、ちゅらは、ちょびんのことを探していた。
元気印ちゅらが、やけに大人しい。
からだをさわると、いつもより、熱っぽかった。
目にも力がなく、あまり動いていなかった。
ラブママが来てくれたとき、ちゅらたちに気をつけてと言われていた。
ラブママは、おかあさん犬を亡くした一ヶ月後、こども犬を亡くしている。
だから、心配してくれていた。
そのことも、頭にあり、月曜日の朝、パパさんが、病院へ連れて行った。
特に大きな心配はなかったが、ひとつ気になる数値があって・・・
また後日、検査に行く。
9月2日(月)
上にも書いたが、お仕事休んた。
どうしても、行けなかった。
一人で、いろんな事を思った。
やるべきことは全てやったと思っていた。
でも、後から、あのときこのとき・・・と、思ってしまう。
そんなママを見ているから、アルちもこわい顔になるし、ちゅらも、元気がなくなるんだ。
とも、思った。
あんなに食欲がなかったのに、無理矢理、少しでもと口に入れていたのに、ママは、少し、お腹が空くようになった。
なんという皮肉。
パパさんは、「ちょびんが食べさせてくれてるんだよ。」と、昨日、言っていたっけ。
遅いお昼を食べて、「あー。おなかすいたし、おいしかったなぁ。」と、大きな声で、言ってみた。
ちゅらが、パッと、ママの方を見た。
そして、「まま、あそぼう~!」と、おもちゃを持ってきた。
しばらく、遊んだ。かわいくて、笑えた。
この子は、いつでも、ママのことを、じっと、見ていたのだ。耳でさぐっていたのだ。
夕方、お散歩に出かけた。
ちゅらの好きなところに行こうと、言ってみた。
すると、近くではなく、ちょっと離れた広い公園へ、自ら歩いていった。
本当に、久しぶりの場所だ。
ラブママさんがいた。
先日のお礼も言いつつ、色々話した。
この時間、いるから、来れるなら来て・・・と、言ってくれた。
この日の夜。
アルちの顔は、いつもどおり、穏やかで、まったりしていた。
もう、あのこわい顔は、なかった。
9月3日(火)
ちゅらの元気が出てきた。
ごはんのとき、いつも、くるくるっくるくるっと、床を回って待っていたことを思い出した。
この日も、そうやって待っていた。
目にも動きにも、力が出てきた。
よかった。
夕方。
散歩に出かけた。
ちゅらは、また、まっすぐに、ちょっと遠い、広い公園へ向かった。
だいぶ元気で、いつもの、蹴り掘りも、芝生の上で、何度もやっていた。
そんな姿を見て、ほっとした。
ラブままさんが、いた。
他のわんちゃんたちも。
愛犬を亡くすと、しばらく、他の犬を見られない、いないことを聞かれるのがいやだと、聞くことがあります。
でも、パパもママも、そんな風になりませんでした。
他のわんこ達は、可愛いです。とても。
可愛いね。愛されてるかな。毎日、楽しく過ごしてね・・・と、思う。
犬の生涯は、短いのだと、思ったから。
幸せに過ごしてね・・・と、思う。
すれ違った近所の方に、1ぴきしか連れていないことを、聞かれました。
でも、大丈夫。ついこの間、亡くなったことを話せます。
次は、どんなに可愛くて賢かったか、語りたいと思います。
9月4日(水)
朝。
ママのベッドで、今までちょびんが寝ていた場所に、ちゅらが寝ていた。
パパさんを駅まで送り、買い物して帰宅。
ちゅらの、ママの迎え方は、いつも通りだった。
もう、部屋の中で、ちょびんを探す行動は、しなかった。
でも・・・
お庭に出してほしいのと、お庭に出る窓のところにいて、目で訴えたちゅら。
窓を開けると、遊びに行くのではなかった。
すぐさま、隣家のフェンスのところに行って、じぃーっと、様子をうかがっていたのだ。
そういえば、ここ数日、そうだったかもしれない。
もしかしたら、ちょびんが、お隣に、いつものように、遊びに行っているのではないかと、思っているのではないだろうか。
そんな気がした。
ほんの少しだけ時間がたって、体中ちょびんのことでいっぱいだったのに、ちょびんの最後の日の写真さえ見られなかったのに、他のことを、考えてしまうよ。
もっともっと、ちょびんのことを、どっぷり、考えていたいよ。
by chobin-mama
| 2013-09-04 19:46
| ちょびん